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いじめなどの心の問題について
にわかに緊急課題視されているいじめですが、程度や内容に違いはあれども、いじめという問題は昔から存在し、誰にとっても身近な問題だと言えます。それゆえいじめと一言で言ってもさまざまな背景があり、すべてを一括りにできるような単純なものではありません。ですが、大きな原因のひとつとして、他者に対する気持ちの共感が薄れていることにあるのではないでしょうか。他人の痛みを自己の痛みとして共感するということが理解できないのです。ゲームなどのバーチャルな世界に馴染んでいたり、他者と直接ぶつかり合うことが少ない生活を送っている子供たちの場合、他人の痛みを知る機会は少ないかも知れません。
空手の稽古では組手があります。殴られたり蹴られたりするので、当然痛くてうずくまる子もいれば、泣き出す子もいます。しかし、彼らはそのような生の経験で『痛み』を知ります。実体験で『痛み』を知るからこそ、他者の『痛み』に対して理解をします。
そして『痛み』とは肉体だけではありません。心にも『痛み』はあります。こちらのほうが顕在化しにくいかもしれません。ですが、空手の稽古は心技一体ですので、肉体を追い込むと同時に精神をも追い込みます。彼らは日々の稽古や試合の中で大なり小なり精神的挫折を経験しています。この実体験こそが彼らを痛みのわかる人間へと成長させていきます。
また、空手で身に付けた技術というのは諸刃の刃です。大切なものを守ることに使うも相手を傷つけることに使うも本人次第です。ともすると、子供たちの場合、空手をやっているという意識が他者に対して攻撃的な態度をとらせてしまう可能性があります。
日頃から道場生には、いじめをする側になるということは、最も卑しい人間に自分を貶めることになると語りかけています。自分が軽く考えている行為が実はいじめに加担していることになっているかもしれないと常に自戒してほしいと思います。
いじめには加害者がいると同時に被害者がいます。日々絶望感に襲われているはずです。
もちろん本人の乗り越えるべき課題ではありますが、乗り越え方も様々で、自分ひとりで対処するには限界があり、必ずしも孤軍奮闘がベストとは限りません。またいつ誰が被害者になるのかわかりません。
けれども孤独に押しつぶされそうになった時、道場生の皆に覚えていてほしいのは、皆にはつらく苦しい稽古を共に励ましあって切磋琢磨した先輩や仲間が沢山おり、決して独りではないということ、そして道場にはいつも私がいる、安心して何でも話して欲しいということです。
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